前史

1909

渡邊伝七商店 開業(広島県福山市)

本社・工場は福山市北吉津。
渡邊家が先祖代々住んでいた吉津の番役所屋敷をそのまま使った。

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広島県福山市時代の渡邊伝七商店

1931

(資)渡邊伝七商店(泰輔代表社員)設立

個人商店から資本金7万円で合資会社を設立。
福山市内の桜馬場町に新規営業所を開設。
代表社員には伝七の長男・泰輔が26歳で就任した。
当時は「大学は出たけれど」の昭和大恐慌がまだ収まらない最中。
猛烈な逆風の中の船出だった。

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大正末期の福山市内

1947

八幡製鉄の直納指定商へ

敗戦でほとんど休業状態にあった八幡製鉄所が、政府の「石炭と鉄の傾斜生産」という要請から再び鉄屑の大量買い付けに動いた。
伝七商店は実力集荷業者の1社に選ばれ、納入を任されるようになった。
同時に大阪へ支店を設けて進出した。

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終戦後の福山市内

1949

名古屋営業所 開設

GHQによるドッジ政府により、日本は自立的な経済安定策とその実施を求められるようになる。
あらゆる政府による価格統制が撤廃され、戦後の低迷と虚脱期を脱した鉄鋼業界は鉄鋼の増産に動き、それに伴い鉄くずの回収が注目されていた時期だった。

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現在の名古屋営業所

1958

渡邊商事(株)に改組 本社を大阪市南区に置く

1957年から始まった鉄鋼不況の最中、輸入鉄屑が継続的に日本に入着。
鉄屑価格も下降の一途を辿る中、より業績を上げるべく本社を発祥の地・福山から大阪へ移転。

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本社を構える西心斎橋一丁目

1959

姫路営業所 開設

当時、鉄屑業界での最大の任務は内外からの鉄屑の量的・価格的安定確保であった。
当時、海外屑の大量輸入を必要としたが、輸入に際し相手国を刺激せず、また国内の鉄鋼メーカー分担を公平にするため採用したのが、カルテルによる「共同輸入」方式であった。

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現在の姫路営業所

1960

東京営業所 開設

岩戸景気の中、商社は米屑の手当に奔走した。
鉄屑を必要としない転炉製鋼が軌道に乗るのは64年以降であり、なお輸入鉄屑のウェイトは高かった。

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現在の東京営業所

1973

コンピューター、FAX導入

日本列島改造論や中東戦争に端を発した石油危機は世界的な鉄鋼仮需要殺到から鉄屑相場の急騰を呼び込んだ。郵便ストなどのも発生した中で、PCやFAXを導入する事により業務停止を乗り切ろうとした。

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1973年 オイルショック

1974

岡山工場 開設

1974年の4月には岡山工場を建設し、月産3000トン体制にしていった。
岡山工場は渡邊商事と深い繋がりのあった山県商店を、徹底支援するために建設したといういきさつがあるが、後に24人の社員を6人に整理し、再建するという事態になった。

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現在の岡山工場

1977

泰博社長就任

新日鉄系の大阪製鋼と大谷重工が合併し、合同製鐵が発足。
翌年にはナベショーの一番の取引先である日本砂鉄が吸収された激動の時期であった。
その状況下で33歳で社長に就任。

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日本砂鉄鋼業と共同で大型鋼塊を鍛造して丸棒を作る試みにチャレンジ

1983

サン・スポーツ(現:ビッグワン)を設立

第二次構造改善措置法が制定され、日本に於ける設備リストラが行われる。
新日鉄が前年から合理化の一環として市中スクラップの購入を再開。
鉄鋼業界全体が不況業種として指定された時期に異業種へと参入した。
鉄スクラップ業に於いては鉄や銧鉄の輸入業務を開始。
1985年から1986年にかけて3つの営業所を閉鎖し、在庫処分損失が続けざまに発生していった。

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1981年 月間取扱高初の5万トン達成
1988年 月間取扱高10万トン達成記念品

1991

メタル・リサイクル・マンスリー(スクラップマンスリー)
NABESHOニュース開始

バブル崩壊は鉄スクラップを直撃した。
電炉各社が製品価格維持の為減産に走る中、鉄スクラップ供給は高水準に張り付いていたため、需要ギャップはすさまじい勢いで全国に拡大し、荷止め・値下げが続出した。
その時期に鉄スクラップ業界紙のスクラップマンスリー(月報版)にNSニュースとして連載を開始。
狙いは対ユーザー、お客様に向けてNSGの営業方針、営業活動全体を定期的に掲載・露出することによる広報・認知活動だった。

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1990年 月間取扱高15万トン(年間180万トン)達成
デューイングのセールス・プロモーション

1994

社名を「ナベショー」へ変更

新たな飛躍を目指して。
本社事務所を現在の大阪市中央区南船場へ移転。
同時にS&H大阪、ビッグワンなどNSグループ各社・事務所を統合し、本社に全スタッフを結集させた。
あわせて商号も(株)ナベショーに改めた。
翌年には全営業所を繋ぐTV会議システムを導入。横のネットワークを築いていった。

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本社を大阪市中央区南船場に移転

2000

ロア・ェ・レーヌ設立

オリジナル・トール型レンジフードがヒットし、これを機にS&H大阪からオリジナルシステムキッチンのブランド(ロア・ェ・レーヌ)を立ち上げた。
既存設計事務所には無い自由な発想で大手ゼネコン・デベロッパーからの受注に成功した。

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キッチンの大型受注(ザ・シーン城北)

2003

ナベショーとロア・ェ・レーヌ合併

折からの不況の転換期。2001年から始まった鉄鋼業界再編を経て、鉄スクラップ業界も再編・撤退を余儀なくされていた時期。
そんな中、ナベショーは鉄スクラップ取扱量を順調に伸ばしていった。

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2004年 スクラップ扱い量200万トン突破

2009

創業100周年

2008年のリーマン・ショックに端を発した世界同時不況は鉄スクラップ業界にも深刻な影響を及ぼした。
2008年の7月に7万円だった価格は、10月には1万円割れにまで崩落。
そんな中、扱い数量は維持し、翌年ナベショー創業100周年を迎えた。

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白色LED照明システム
グレースルミノを大和ハウス工業(株)と共同開発

2010

福岡営業所 開設

2008年のリーマン・ショック、2010年のギリシャ・ショックなど景気の先行き不安が蔓延していた2010年6月。
スクラップの流通商社としてより地域密着を目指し、新たに福岡に営業所を増設した。

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メタル・リサイクル・マンスリー
NABESHOニュース50回達成

ナベショー百年歴史